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息子
小笠原盛久 / OGASAWARA Morihisa
キャンバスに油彩、Jのギター、Jのジャンパーなど
息子は県外で療養を続けていた。
世の中毎日まいにち事件のニュースが洪水のごとく流れてくる。
しかし、街を歩いていても何事もなかったように過ぎて行く。
3年前の夏の早朝、突然電話がかかって来た。息子は39歳であった。
これで腰の痛みから解放された。もう疲れた。心残りは復活して音楽を続けたかったと。
父親として真正面から受け止られなかったことに悔いが残る。1日たりとも忘れることは出来ない。
元気かい。痛みはないかと。呼びかける。
生きた証を残したい。私が声を上げなければ忘れられてしまう。何枚も描きたい。
F100号はCDを聞き入る姿、2点の小作品は愛用品です。こよなく音楽を愛し、なかでもドラムは中学生から始めました。彼のファッションはいつも革ジャンパー、サングラス、ジーンズ、革ブーツ姿でした。
今も、一緒に生きているんだよと。
誰もが深い、苦しみや悲しみを抱いて強く生きているんだ。
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